【哀悼】ありがとう! 上野動物園マレーグマのアズマくん。

マレーグマのアズマくんの遺影。アズマ君らしい写真。

今日は2019年9月15日です。
アズマくんが突然くも膜下出血で26年間の生涯を終えて、丸1年が経ちました。

亡くなった直後は、とてもじゃないけどアズマくんのことを書くことができませんでした。

結局、哀悼文を書くまで1年を要してしまいました。

この哀悼文が書き終わるころには、私の心もひと段落しているかと思います。

長文になりそうです。
もしよかったら、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

※この哀悼文を書くにあたり、東山動植物園の飼育員様、東山マレー仲間の御三方から多大なるご協力をいただきました。
この場を借りて心からお礼を申し上げさせていただきます。

東山動物園時代のマレーグマ・アズマくん

名古屋のマレー仲間の素敵なはからいで、東山動植物園のアズマくん育ての親である飼育員さんから当時の貴重なお話をお聞かせいただきました。

アズマくんは1992年7月25日に東山動植物園で生まれました。
(当時は現在ラーテルがいる食肉小獣舎の角っこにマレーグマ舎があったそうです)

アズマくんのお父さんとお母さんは1978年2月13日に動物業者を通じて東山動植物園に来園。(残念ながら名前の記録は残っていません)

この両親は計7頭の子供を設けているのですが、早期に皆亡くなり生き残ったのはアズマくんだけでした。

そして、お父さんマレーは1994年1月4日に、お母さんマレーは2000年5月3日にそれぞれ亡くなっています。

アズマくんは三つ子だったのですが、お母さんマレーが生まれた赤ちゃんの存在に気づかず乗っかってしまい、アズマくん以外は残念ながら圧死という結果になってしまいました。

生き残ったアズマくんも瀕死の状態だったので、飼育員さんによる人工飼育が開始されます。

アズマくんは2代目マー君!?
マー子さんとマー君といえば、東山動植物園の仲良し夫婦を思い浮かべますが、アズマくんは上野動物園に来園するまでマー君と呼ばれていたのだそうです!

 

これにはびっくしました。

 

さらに遡ること40年前に道後動物園(現・愛媛県立とべ動物園)に、マーコとマー君という幼いマレーグマがタイから来園しました。

 

ということは、このタイからやってきたマー君が初代マー君になるのかもしれませんね。

 

そして、道後からとべに移転して数年後に亡くなってしまったそうです。マーコは2009年1月9日に推定30歳で老衰のため亡くなりました。

 

改めて整理してみますと、

初代マーコ(タイ→道後→とべ・1979-2009)
2代目マーコ(中国雲南省→東山・1997-現在)

 

初代マー君(タイ→道後→とべ・1979-1990前後?)
2代目マー君→アズマ君(東山→浜松→上野・1992-2018)
3代目マー君(中国→東山・1993(推定)-現在)

こんな感じになります。

飼育員さんの手厚い飼育のもと、すくすくと育ったアズマ君ですが、後遺症としてまっすぐ歩けなかったようです。

熊はまっすぐ歩いているつもりでも、ぐるぐる円を描いていたとか。

だから木登りが苦手なのですね。

飼育員さんとアズマ君はよく園内をお散歩していたそうです。
そのシーンを見たかったですねぇ。
とてつもなく可愛かったことと思います。

最初のころは飼育員さんの後を追っかけて、しっかり言うことを聞く甘えん坊で可愛いアズマ君でしたが、徐々に我が出てきて言うことをまったく聞かなくなったそうです(笑)

1993年に東山動植物園は人工飼育に成功したアズマ君が評価され繁殖賞を与えられています。

その後、アズマ君は1993年5月28日に浜松動物園に転出します。

アズマ君を育てた飼育員さんは浜松で亡くなったのだろうなと思っていたそうです。

そして、去年2018年に亡くなったアズマ君が、自分が育てたアズマ君(2代目マー君)だとまったく気がつかなかったそうです。

マレーファンの方にその事実を知らされ、
「え〜!アイツまだ生きてたの?」
とびっくりされたとか。

浜松動物園から、1998年6月22日に上野動物園に来園した2代目マー君は東山から来たから「アズマ」と改名しました。
同じ日に北京から来園したのが、キョウコさんです。

私がマレーグマのアズマくんに会うきっかけ

キャバリア
私の家にはキャバリアのオスがいました。
大親友でした。

とにかく甘えん坊で、私が「触れ合えるペットショップ」や「動物園」に行くと、どうやら匂いでわかるらしく激しく落ち込むのです。

落ち込みすぎて、顔面麻痺になり口の半分が開かなくなってしまいました。

ということで、私は動物園通いをやめました。
(その後は治りました)

しかし2016年秋に最愛のキャバリアは心臓病で他界してしまいます。

キャバリアが天国に旅立ち、半年程すぎたころ、いつまでも落ち込んでないで、とりあえず、また動物園にでも行ってみよう。と奮起しました。

動物園の動物なら自分が面倒を見るわけではないから、思い入れも半分になって気持ちも楽だろうとも考えましたが、この考えは甘かったです。

まず頭に浮かんだのが、マレーグマのツヨシくんです。
あの、TVで見たすっとんきょうな生き物。
クマの概念を覆す、おっさんみたいなヤツ。

しかしツヨシくんは山口県に住んでいます。
自宅からはけっこうな遠さ。

調べたら上野動物園にもいることが判明。
2017年春。
10年以上ぶりに動物園通いが再開されました。

初めて見たマレーグマはアズマくん!? だったはずなのですが。。。

本当はツヨシくんに会いたかったけど、とりあえずマレーグマという生き物を確認したかったので上野動物園に行ったら、いましたよ!アズマくんが!

「プッ! なんだあの変な動きは!」
「マレーグマって面白いし可愛い!」

もう一発でマレーグマのトリコになりました。

後から判明したのですが、アズマくんに会うのは初めてではなかったです。

アズマくんとキョウコさんに2000年前後に何度かお会いしていたようです。

しかしまったく記憶がない。。。
昔は今みたいに写真をとることもなかったし、個体名(愛称)を調べることもしなかったし。

それから、これも後から調べて知ったのですが、初めてあったマレーグマはアズマくんでもキョウコさんでもなくて、マレーシアから多摩動物公園に来園したてのモモコさんでした。

しかしまったく記憶がない。。。
昔は今みたいに写真を、、、(以下同)
それにこの頃(1995年)はネットなんて普及してないから情報も少なくて、、、ブツブツ。

言い訳はこれくらいにしておきます。

そして、マレーグマの情報を得るためにツイッターを眺めていたら、名古屋に強烈なマレーグマがいるという事実を知りました。

それがマーチンです。

最後のアズマくん

ここからは、2018年9月24日の回想文になります。

少しづつ秋っぽくなってきたこの日。
私はアズマ君に最後の挨拶をするため、上野動物園に行きました。

マレーグマのアズマくん。安らかに。
慰霊碑にアズマ君の写真が飾ってありました。
とてもアズマ君らしい素晴らしい写真を選んでいただいたことに、スタッフさんには只々、感謝です。

アズマ君に最後の挨拶をしました。
その後、マレー舎はどうなっているのか気になりました。

キョウコさんもモモコさんもアズマ君がいなくなったことは、匂いでわかっているはず。
もしかしたら、落ち込んでいるのではないかと心配になりました。
マレー舎に急ぎました。

 

マレーグマ・モモコさんの寝相が愉快すぎる

゚ε゚○) ププッ!

なんという愉快な寝相。
リラックスしまくり。

さらに大好きなアメリカバクに会いに行くと、、、
アメリカバクのサム。おおあくび。
サム君、白目で大アクビ!

キョウコさんはどうなんだろう?
少し時間をあけてマレー舎に戻ると、、、

トマトをかぶりつくマレーグマのキョウコさん
でっかいトマトを丸呑みして噛めずに悩み中。

 

うん。
少し気持ちの切り替えができました。
やっぱり動物はいい。感謝しかないです。

天国のアズマ君も、モモコさんとキョウコさんを見て笑ってるだろうな。
などと少し暖かい気持ちになりました。

 

木登りが苦手なマレーグマのアズマ君

日本のマレーグマ界は、ツヨシくん、マーチン、マーネちゃん、マーズ&マーサなど個性派揃いで、アズマ君はどちらかというと地味な存在かと思います。

でもアズマ君といえば、
「木登りが苦手」
これがマレーファンの間では定番です。

発情の時期にアズマ君とキョウコさんが同居していたとき、アズマ君が遠慮がちにキョウコさんに近づくと、キョウコさんは、熊の弱みにつけこんで高い木の上に逃げてしまっていたそうです。それでも頑張ってキョウコさんに近づくアズマ君はキョウコさんに強烈なパンチをくらって、頭を抱えて退散していたとか(笑)

まだキョウコさんが発情のピークではなかったからなのだそうですが、2004年にはめでたくマチちゃんを出産しています。

アズマ君は不器用だから木登りが苦手だったのではなく、子供の頃の後遺症で木登りが苦手だったのですね。

よろしければ動画をご覧下さい。

動画アズマ君
アズマ君、木登り上手になったね!

晩年のアズマ君はとても木登りが上手になりました。
多少腰がふらついてますが、一番高いところまで登ってます。
ハンディを乗り越えて、木登りを克服したアズマ君ってかっこいい!

スリムで童顔なアズマ君。
以外と慎重派なアズマ君。
植え込みの草を破壊していたアズマ君。
いつも早足で落ち着きのないアズマ君。

そして、
いつだって生きるために一生懸命だったアズマ君。

私はアズマ君が手品みたいな仕草をして、不毛な時を過ごしているところをぼんやり眺める、非生産的な時間を過ごすのが大好きでした。

 

私はあなたの生と死からたくさんのことを学ばさせていただきました。

ありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください。

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